911直後ヨルダン、シリアの旅へ

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番外編 ロンドン

出発前夜 911同時多発テロ発生

2001年9月11日(火)夜、早めに床についた。 その途端電話のベルが鳴る。珍しく息子からで「親父、テレビ見てるか?大変なことになってるよ」と言う。 急いでテレビをつけるともう眠れたものではない。

明日から妻と二人で約3週間のヨルダン、シリア旅行に出発するのだが 何せ個人旅行でキャンセルをするにしても容易ではない。とにかくロンドンまで行ってみて、 だめならレンタカーでも借りて英国内をくまなく回ってやろうと腹をくくって、 一睡も出来ないまま、成田空港に行く。

2001年9月12日(水)  米国への出発便はすべてキャンセルされ空港全体が騒然としている中で乗機のBA008 は予定通り出発する。 普段国際線の機内は何か華やいだ感じがするものだが、今日ばかりは重苦しく沈鬱な雰囲気である。

ほぼ定刻にヒースロー空港に到着。こちらも成田に輪をかけてごった返している。かなりの人たちが空港内で 夜を過ごした様でまるで避難所のようだ。BAのカウンタも米国行きの情報を得ようとしている人たちで混雑している。 NHKのキャスターのE嬢もどうにもならないといった顔でたたずんでいる。明日のアンマン行きが出るかどうか 聞いてみたが明日にならないと判らないと言われ、まずは休んでからと渡り廊下を通って空港内のヒルトンへ。

アンマンへ

2001年9月13日(木) 朝食前に BA のカウンターへ。北米大陸行き以外の便は予定通り飛ぶというので ホテルでゆっくり待つことにした。 テレビの流している情報も昨日とあまり変わりがない。ホテルのロビー、レストランなどでも 皆事件には触れたくないというふうで、なんとなくよそよそしい感じであった。

BA67 は午後2時ほぼ定刻にヒースローを飛び立つ。ほぼ満席で見たところは ヨーロッパ系、アラブ系が半々といったところだろうか。東洋人は我々だけである。 殆どのの乗客はベイルートで降りてしまいアンマンまで飛んだのは我々を入れてたった4名であった。 ベイルートといえば30年ほど前の悲惨なレバノン内戦とその後のテロ合戦の印象しかないが、 今は落ち着いているのだろうか。飛行機の小さな窓からもなんとなくフランスっぽい雰囲気が 感じ取れたのは思い過ごしだろうか。

<ベイルートでは乗ってくる客もおらず定刻の30分ほど前だというのに 出発してしまう。アンマン空港では乗客たった4人なのであっという間に入国審査も終わり手荷物もすぐに出た。 空港内も閑散としているが中東に入ってなにかほっとした感じさえする。 ヨルダンでお世話になる息子の協力隊仲間のN嬢には、ロンドンから電話を入れておいたが定刻前に 到着してしまったのでまだ顔が見えない。

暫く待って現れたN嬢には盛んに恐縮されるが、 こちらこそこんな深夜に迎えに出て貰い申し訳ない思いである。挨拶もそこそこに市内に向かう。 話はどうしてもこんな時によく来たという事になるが、後で聞いた話ではこの後到着予定のオランダ経由の便は 欠航になったようだ。深夜で回りはよく見えないが、立派なハイウェイを30分ほど走るともうアンマン市内で 想像していたよりずっと立派な近代的な都会であった。

深夜で町の様子はわからないが、 ケンタッキー・フライド・チキンの看板なども見える。 途中で果物屋に寄る、夜11時過ぎに店を開いているのと果物の豊富さには びっくりさせられた。

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