2011年1月アーカイブ

退院してしばらくたって靴を履いて歩くと左足で着地するときにパタンパタンとなることに気付いた。最近になってスリッパで階段を上がるときなぜか左足のスリッパが脱げそうになる。
このところ弱気になってあまり動かないので、さほど気にしていなかったのだが3日ほど前に風呂で何気なく脚を伸ばしてつま先を動かしてみたところ左足のつま先を上げることが出来ないことに気がついた。
立ってつま先を上げようとすると全く動かない。爪先立ちは問題ないのが不思議だ。
さてはいよいよ左足の血管が詰まったかと、脚の血圧を測ろうと試みるがうまく測れない。でも左足が冷たいわけでもないからと寝ようとしたが寝付けない。とうとう入眠剤のお世話になってしまった。

翌朝ネットで調べてみると「腓骨神経麻痺」というものらしく、血流にはあまり関係ないらしい。このところ運動不足で固めの椅子に座っている時間が長いので腰からきた神経症である可能性が高い。

昨26日は市民病院循環器科のこれまでの検査結果の説明があった。16:00の予約なので15:30に採血を済ませ、循環器の待合室で待つが医師に呼ばれたのは17:30。後ろの席から「病気になるのが悪いので仕方ない」との声も聞こえたがなんとかならないものか。
病状は殆ど分かっているので、このままであとどの位時間があるのかを確認したかったのだが「あまり負荷を掛けない生活でよければ1年2年は大丈夫。宮崎さんがこれまでのような生活を望むなら手術という選択になる」ということで結論は本人の意志次第ということである。

リスクが低ければ当然後者を選ぶがリスク5%と言われると流石に決心するための時間がしい。これまで仕事でも二者択一の難しい判断を迫られたことがあったが、万一の場合考えられるだけの方策を講じた上で最善と思われるほうを選んできた。今回の場合は、手術のリスクを下げるために患者の出来ることといえば病院選びしかない。
以前から頼んでおいた榊原記念病院への紹介状を貰って帰宅。今後の方向が少し見えてきていくらか気が楽になった。20時過ぎに息子夫婦が現れたので、冷凍してあった昨年勝浦で食った残りをつかってクエ鍋を馳走する。
酒も久し振りに2合ほど飲んで寝る。

まじめにカロリー制限をしてきた割に結果が血液検査に表れない。あすからもう少し運動量を上げよう。



昨日友人の勝浦別邸の主が、直島(例の釣り名人?)からタコの一夜干しが届いたと半分おすそ分けがあった。写真は既に1本喰った後なので3本しかないが全長90cmの大ダコであった。Tako.jpg
丁度元旦生まれの小3の孫にプレゼントした「大人の科学」のプラネタリュームが出来たから(実際は小5の上の孫が殆どを組み立てたようだが)爺に見せにくるというので息子も呼んで食することにした。

軽くあぶって食すると実にうまい! このところカロリーと食塩を制限されているのが口惜しいが、日本酒を切らしているので白ワインをちびちびと楽しむ。
医者は高血圧や糖尿を解離の遠因にしたがるが、本人は全くそのように思っていない。旨いものを喰って美味しい酒を飲みたいのだが、事が事なのでしばらくは我慢するしかないか。

昨夜はほんの少しだがお湿りがあった。朝は曇りだがわずかながら春の気配を感じたのは思い過ごしだろうか。
循環器の医師によるこれまでの検査結果の説明の無いままに13日に外科医の手術方法の説明を受け、18日には予定通りだからと心エコー検査を受診した。
左を下に寝かされて、若い女性の検査技師に背中から抱きつかれるのは悪い気はしないが、確か5年前にもこの検査を受けたのをそのときになって思い出した。
検査を終わって解離が見えるのかと聞いてみたが、説明は担当の医師が26日予定の次の外来でと言葉を濁される。それにしてもカテーテル検査後の約2週間、万一破裂したら命は無いと不安に駆られながら待つのは容易ではない。
反面いろいろな方から情報を頂き、自分の考え方、覚悟を固める良い時間でもあった。特に少し離れた立場で医療関係のお仕事をされているスキー仲間のお兄様のご意見はありがたかった。
これまでなんとなく遠慮があったが、今後他院でセカンド・オピニオンを聞いてから、現在の病院に戻ってということは無いので26日には医師にはっきりと意思表示をしようと思う。
今日(1/18)の朝日新聞一面にチュニジアの首都チュニスの目抜き通りに陣取った戦車の写真が載っていた。幸い大きな騒乱にはなっていないようだが、昨年10月に妻と二人でチュニス近郊の遺跡めぐりをしてきただけに、この先チュニジアがどのようになっていくのか気になるところである。
「アラブ初の民衆革命だ」というタクシーの運転手の話を引き合いに、いかにも独裁強権政治からすぐにでも民主的な政権に取って代わると言う印象を与える記事だが、おいそれとはいくまい。

アラビア語は勿論フランス語も解さない旅行者がたった4日間の滞在しただけで、何かを感じるすべも無いことだが、市内で会った人々の無表情さとカルタゴからしディ・ブ・サイドに向かう郊外電車の中で英語で話しかけてきて「通じた通じた」と無邪気に喜んでいた女子学生たちの明るい笑顔が印象に残っている。なんとか良い方向への変革のスタートになって欲しいものである。

ブルギバ通り(10/1) 
  新聞写真とは反対方向から            職がないのか昼間から道端のカフェで
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乾燥した寒い日が続く。この前いつ雨が降ったのかも思い出せない。 庭も霜よけをしていない野菜たちはすっかり枯れてしまい、芝生もどうやら緑を保っているもののいかにも水が欲しそうにしている。このところすっかり臆病になって庭の水やりも控えているが、それにも負けず水仙は花盛りで、小梅も咲き出した。まあしばらくは安全運転で過ごすよりないか...

Suisen.jpgのサムネール画像
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午前中栄養指導があり、午後1時-3時に心臓血管外来で診察を受け退院の予定である。昼食をとり着替えて病室で待っていたのだが、いつまで待っても声が掛からない。4時を過ぎる頃には流石にどうなっているのかと看護婦に聞いても「連絡はしてあるのですが」というだけで、なぜ、いつまで待てば良いのかなんの説明もない。後5時頃になってようやく担当の医師が現れ説明を聞く。
入院中の患者より外来を優先するのはわからないではないが、外来の無いときに時間をつくるとか出来ないのだろうか。
1月12日、動脈の手術を前提に心臓にカテーテル検査。
朝9:20に術着と称する前開きで、肩はマジックテープで止めてあり一旦事あれば素っ裸にできるものに着替え、パンツはこれもT字帯という越中ふんどしの幅の広いものにさせられて検査室へ。
カテーテルが予定の手首近くからは入らず、ひじの内側から挿入していく。まずは血液を送り出す左心室の造影、ついで4本の冠状動脈の造影を行われる。モニタはほとんど見えない位置だが、冠動脈に造影剤を入れると、心臓周りの血管がはっきりと写し出されるのがチラッと見えた。
次いで問題の大動脈へ。これはまったく見えなかったが、医師の「かなり下まで太いね」という声が聞こえる。「心臓には問題なさそうです」で検査終了。
10:40分病室に戻る。心配そうにしていた妻に笑顔が戻った。

腕の動脈にに2mmくらいの針をさすのだからどうやって止血するのかと思っていたら、透明なブラスチックのバンドに、同じ材質の2重構造になった部分があってそこに空気圧をかけて針のあとを押さえる。部位ごとに適当な圧力が決まってて、皮膚に直接あたるので出血すれば目で見えるという優れものである。優れものといっても腕が曲がらないように添え木を宛てられ6時間、しびれたり、腫れたりで結構つらい。夕食前に外れ、左腕の点滴も就寝前に外れたが、念のため入眠剤を貰って朝まで熟睡した。今朝は快晴。丹沢は非常にくっきりと近く見えるが甲信の山々は寒さで少しもやっている。

明日の心臓カテーテル検査のため今日から町田市民病院循環器科に再入院した。

年末の為、手続き抜きで退院してしまったので入院手続きと退院手続きをしたあと病棟に行く。10時頃、偶然にも前回と同じ病室、同じベッドに落ち着く。

明日の検査の説明を聞き、T字帯を買ってきたらもう今日はすることが無い。前回目星をつけておいたパソコン室に入り、このブログを書いている。15分100円だが病院でブログを書けるとはおもわなかった。自分のPCを持参できベッドでLANにつなげればベストだが...

結構きびきびと動くので時間つぶしにはもってこいだ。また午後にでもアクセスしよう。

大動脈解離
 大動脈は心臓と直接つながる唯一の動脈で、木に例えると幹にあたる一番大きな血管。その血管壁は3層構造になっていて、その内膜が何らかの原因で破たん(解離)して、血管壁内に進入した血流が、血管壁を内外に裂きながら進んでいく極めて重篤な病気。ほとんどの場合、胸や背中の激痛や意識消失で発症し、わずか数秒で解離が大動脈の広範囲(しばしば全長)に進展する。救命のためには適切な治療を速やかにすることが必要で、未治療患者の生存率は48時間で50%、1週間20%、1カ月は5%といわれている。 手術死亡率も10%-20%に達するといわれている。
 特に解離が心臓の近くで始まり上腕部と頭部への動脈の分岐に及んでいる場合は、Stanford A型と呼ばれ緊急に手術を行う必要があるとされている。解離が頭部への動脈(頚動脈)の分岐以降に始まっている場合はStanford B型に分類され、先ずは血圧を低く保って安静にするなど内科療法が適応されるのが普通である。
 また内膜が裂けることにより外壁が膨らんだ状態を「解離性大動脈瘤」と呼び、3層のまま膨らんだ「大動脈瘤」とは区別されている。
 
 最近では作家の立松和平さんが解離性大動脈瘤破裂による緊急手術の後、多臓器不全で亡くなったといわれている。加藤茶さんもStanford A型で加えて冠動脈の狭窄があってかなり重篤な症状だったが無事生還。古くは石原裕次郎さんがやはりStanford A型(手術は成功し、その後別の病気で死亡)だったといわれている。

 この病気になって、先ずは敵を良く知ろうと色々調べた中では http://sunaowatanabe.sakuraweb.com/AoDissection.htm が大変参考になった。

幸いに私の場合、Stanford B型であり、既に慢性期であることから、まずは血圧を低く保ち安静にする保存療法が適応された。 
これまで背中が痛いとか胸が痛いとか言うことが全く無かったわけではないが、筋肉痛や神経痛的な痛みで背中に激痛が走るようなことは無かったので、そのまま気付かずに今までどおりスキーにでも出かけていたら、突然の大動脈破裂で今頃はあの世にいたかも知れない。死んでしまえば自分には関係ないことだが、そのとき一緒にいた仲間には大変な迷惑をかけていたに違いない。

と考えると、なんの症状も無いのに見つかったのは、町田市民病院の循環器科を受診するように薦めてくれた「かかりつけ医の森先生」、CT検査を指示してくれた「市民病院循環器内科部長の黒澤先生」のお陰で、誠に幸運だったといわざるを得ない。 一方いつ発症したのか分からないのでは今後の治療方針を決めるのが却って難しい。
年末に一旦退院するときの説明では、現在の大動脈の最大径は約55mmと言われたが、この数字は大変微妙なところのようだ。 かなり急速に膨らんでくる可能性もあり、いずれあまり遠くない時期に手術を必要とするのであれば、まだ少しは体力があるうちにと思う。
先生にはとにかくスキーに行ける様に直せと言ってはあるが、スキーだけが人生ではないのだからどちらのリスクが大きいかということになる。リスクが同じなら、今後地雷原の上を歩くような生活は送りたくないので手術に踏み切ろうと思う。
 手術そのもののリスクを下げるためには、良い医者とそのクルーを選ぶことも重要なので病院選びもしなくてはならない。先生は退院前にセカンド・オピニオンを求める事を快く承知してくれたので、正月の期間、情報を集めることにした。 その結果についてはまた改めて書くことにした。
皆さん明けましておめでとうございます。
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妻と二人で穏やかな新年を迎えることが出来ました。

 ブログに書くかどうか悩みましたが、実は12月17日に入院し30日に一旦退院してきました。
病名は「大動脈解離」、急性場合手当てをしなければ2週間以内に75%は死亡する怖い病気です。
3層の膜で出来ている大動脈の内膜が剥がれる病気で、古くは石原裕次郎が「解離性大動脈瘤」から奇跡的に生還、最近では立松和平さんは「解離性大動脈瘤」の破裂で亡くなったとか、野村監督も「大動脈解離」だと言われている。

幸い私の場合、剥がれ始めている場所が心臓や脳に行く血管が分かれた後であり慢性化している状態なので、差し当たり緊急に手術を構える必要はないので暮れも押し詰まった12月30日一旦退院となりました。1月には心臓周りの検査のため短期入院予定。

病気のことを書くのは気が進まないのだが、どうも今後の生活はこの病気との戦いになりそうなのであえてこれまでの経過を書くことにした。 お暇な方は続きを見てください。

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