2011年4月アーカイブ

3月、4月と気温が低い日が多かった上に雨らしい雨が降らなかったのであまり期待はしていなかったが、4月半ばになっても一向に姿を見せない。

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4月25日(月) 大分気温も上がったので8名でタケノコ掘りをした。前日の日曜日、例の地主夫婦がやってきて根こそぎさらって行ってしまったようで、8人で2時間ほど探しても30本くらいしか取れない。地主といっても竹林のほんの一部を所有しているだけなのに、我が物顔に振舞っているのには頭にくるが、はっきりした線引きをするにはかなりの費用が掛かるので泣き寝入りしている。
まあ年寄りの愉快な仲間が集まれるだけ幸せかと取れたタケノコを囲んでお茶にする。


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4月27日(水) 今日は当番3人で竹林に入る。といってもまだ肋骨が気になる小生はお客様扱いである。25日の状況からあまり期待はしていなかったのだが、案に相違して2時間ほどで大小併せて30本ほどの収穫、ご近所に配る分だけは






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4月30日(土) 今日は5名で探すがあまり芳しくない。やはり前日地主が入って不作だといって帰ったそうだ。これで諦めてくれると少しはこちらにも廻ってくるかも知れないが、どうも今年はこのままで終わってしまいそうだ。

例年と違って夏野菜、といってもゴーヤー、トマト、ししとう、モロヘイヤくらいのものだが、の為の土つくりが遅れている。今日はたった一坪くらいだが花壇から畑に鞍替えした場所を掘り起こし、以前食した牡蠣の殻を砕いて入れ、出来れば堆肥も入れてと9時半頃から作業を開始した。
手術跡には殆ど痛みは感じないものの背筋の衰えが激しくてすぐに背中が痛くなる。立ちくらみにも悩まされ10時半ころには止めてしまった。堆肥は明日にしよう。

午後40日ぶりに車を運転して妻と買い物へ。運転は問題なく、これで行動範囲は元に戻った。夕食は一人祝杯を上げる、といっても自重して約1/2合強、情けない、いや我慢我慢。
vP1030717.jpg今日で手術後1ヶ月。縫った周り特に左胸辺りが腫れていてひりひり感があるのと背中が痛いことを除けば感覚的には平常に戻って来た。今日も竹林まで往復2km強歩いてきた。

夕食に友人から貰った金毘羅さんのお神酒「金陵特選吟醸」を大き目のぐい飲みに一杯だけなめてささやかに1ヶ月を祝う。肴はこれも到来物の金目の開き、金陵のやや辛口の飲み口がピッタリ。

減塩で降圧剤が効きすぎかこのところ立ちくらみがある、また医者からはワーファリンの効きが悪いと言われている。塩辛いつまみで一杯やれば両方一気に解決できるのだが...

それにしても原発の状況は気にかかる。このままでは汚染水が溜まる一方で、なおかつ海や地下水への汚染が止まりそうもない。最悪のケースを考えて手を打っているようにも見えない。
温度計が故障?安全保安院さん本当ですか?

今年は手術後でもあり、いよいよ我が家もエアコンを入れるつもりでいたのだが大震災で中止。

昨年ベランダに置いた大型のプランターでのグリーンカーテン作りはうまく行かなかったので、今年は風通しを含めて、一階の過ごしやすさを重点に計画することにしよう。
なにはさておきゴーヤーの苗作りである。例年発芽率が低いので、今年は傷をつけた種を一晩水に浸してから蒔いてみた。60粒くらいは蒔いたか、もう少し気温が上がってからの方が良いのかも知れないが、いつもなんとなく気があせって早蒔きになる。
リハビリのため今週は30分、約2kmを目標に散歩をしている。昨日は妻のお供でスーパーへ。

スーパー店内は、震災後品薄だったらしいが、茨城産の野菜を含めて品物は豊富で値も下がっていた。
冷蔵ケース、冷凍ケースの照明が消えていて、多分他の明るさも落としていた。最初は異様な感じがしたがこれで充分だ。

行き15min、店内20min、帰り20min、往復2.2km。 帰りのだらだら登りで息が切れたが情けない。
P1030714.JPG今日は仲間は竹炭の窯出し作業、といってもうまく焼けていないので窯明けと言っていたが、である。やはり窯は腐蝕してあちこち穴が開いていたようだ。

作業が終わってから皆で広い竹林を探し回ってようやく2本タケノコを見つけ、その内貴重な一本を届けてくれた。多分もう1本はごく小さなものだったのだろう。気遣いをしてくれる仲間に感謝しながらオーブンで丸焼きにして食す。うまーーーい。一杯やりたーーいが、もう少し我慢。
今年は裏年に当る上に春先から気温が低く、雨が少ないので期待はしていなかったが、次回25日にはたけのこ探しに参加したいものだ。
散歩がてら選挙にでかける。会場の小学校は距離的には近いのだが83段の階段が待ち受けている。行きはくだりなので、転ばないように手すりを掴んで降りる。
会場には15時までの投票率31%とでていたが、今回ばかりは棄権したい気分だといっている人が多い割にはまあまあの数字なのだろうか。だれに投票しようが石原再選に決まりで面白くない。

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「石原さん出ないと言ったのではないんですか?」
ジーゼル車の排ガス規制の時だけは「やるな」と思ったのだが、銀行、オリンピック、築地移転など全く評価できない。そもそもあの倣岸な態度と物言い、自分は何様だと思っているのだろうか。「太陽の季節」くらいで俺は大小説家だと思っているのか...あと4年、益々老害が出てこなければよいが。
帰りは、階段をさけて桜を見物しながら戻る。満開だ!
ここでは自粛が勝ちのようだ。
桜の下で酒を飲んでの大騒ぎは毎年苦々しく思っているので静かな花見に一票。

昨日電話を貰いしわがれ声で話した友人から「大動脈解離で手術した友人に聞いたら、やはり声が出なくなったが、そのうちに出るようになった。以前はもう少し良い声だったが。その内出るようになるから安心せい」と電話を貰った。わざわざ電話で確かめてくれたらしい。持つべきは友、心遣いがうれしい。


3月25日午後退院。16時半ころ早速計画停電となる。ローソクの明かりで年寄りが二人飯を食っているのはどうにも様にならない。暖房が切れたので毛布をかぶる、何のことはない病人が難民になってしまった。

退院後3日目頃から咳がひどくなり寝ていられない夜が続く。咳が収まったところで入眠剤のお世話になって寝る。相変らず声がかすれていて、大きな声が出ない。最初は手術中のどに挿入した空気管で声帯が痛んだと思っていたのだが、どうやら手術の合併症「反回神経麻痺」らしい。大抵は半年くらいで声が出るようにはなるらしいのだが、片側の声帯が開いたままなのでしゃべると息がもれ苦しい。どうやら咳もそのせいのようだ。うまく物を飲み込めなかったりむせたりないのと、同じ麻痺でも下半身麻痺にならなかっただけでも儲けものということにしよう。

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4月に入って咳も軽くなり、どうやら暖かくなってきたので、家の周りを歩くのを再開した。
4月7日午前中は近所のかかりつけ医に薬を貰いに、午後は近くの桜並木に行き写真を撮る。合計3km近く歩いた。
咳をすると手術で切り取った肋骨2本と縫った後が痛いが思っていた程では無かった。それよりも何もしていない左の二の腕が凄く痛い。医者に言っても「左腕はずっと上げていたからね」ととりあってくれない。術後3日目くらいが一番つらかったが、4日目くらいから少しずつ楽になってきた。
400m+階段1階分のリハがノルマだが結構忙しく一日3回は無理。

22日朝、胸から出ていた10mmのビニール管(ドレン)を外し自由の身になる。
外科S先生「ドレンも抜けたのでそろそろ退院です。出切れば明日にでも」 
私「術後7-10日で退院とは言われていたがあまりにも急だし、計画停電で家が寒いので出来るだけ置いてもらいたい」
結局3月25日退院、31日に通院で抜糸ということにされてしまった。

22日から一階のリハビリセンターに行ってバイクを初日15分、二日目20分、三日目25分。


(サーバーを止めてしまったので入院中ブログが書けなかった。経過はいずれHPにまとめる予定)

なぜか左肩が動かせない。夢中で引っ張っていると遠くで「宮崎さん」という声が聞こえる。目を開けて、そうだ手術を受けたんだったと気付き「今何時ですか?」と聞くと「16日朝5時ですよ」と言われた。そっと脚を動かしてみるとどうやら動かせるようだ。「手術はうまく行きましたよ!下半身麻痺の心配もありませんよ」と誰だったのか今もってはっきりしないが男の声。

前日3月15日(火)朝9時10分、看護師に伴われて手術室へ降りるエレベータの前で家族に手を振る。あとで息子が「なんだあれで終わりか」といったそうだが、確かにストレッチャーに横たわり酸素マスクをつけ腕には点滴がという映画のシーンとは程遠い。手術室の前室(?)につくと着ているものを全部脱がされ、シーツにくるまれてベッドに寝かされる。そのまま手術室に運ばれると濃いブルーの術着を着た10名くらいの男女に囲まれ、「では麻酔を始めます」といわれてから翌朝5時まで全く時間を喪失。手術時間は正味3時間半位だったようだが、13時15分頃に手術はうまくいったと連絡があり、13時25分ころICUに入ってまだ意識がなく平目のように寝ているところを見せられたらしい。妻いわく「あなたが死んだらあんな顔になるんだと思った」。
麻酔医から少し強い麻酔をかけるので、目が覚めるのは翌日といわれていたがその通りになった。

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目が覚めてまもなく、体重を量るのでベッドから下りて立てといわれたり、歯を磨かされたりしたのにはびっくり。病室に戻ったら今度は体重を量りに30mくらい歩かされた。いくら動いたほうが良いといっても体の半周近くを切開した後、尿袋、胸から出た2本のドレン抜き、点滴、酸素吸入をしたまま歩くことはないだろうに。家族も昨日は平目のように寝ていたのが立って歩いているのを見てびっくりしたようだ。

左の写真の白い線の間が人工血管になっている。テルモ社製トリプレックス(直径24mmのゴアテックスのような素材)
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3月14日手術前日
朝の説明では「下行部大動脈置換手術の最大のリスクは脊髄の虚血による下半身麻痺で、榊原では対策として脊髄の圧を下げる脊髄ドレナージを行っている。今日夕方に脊髄に細いドレン管を挿す。」
とのことだったが、夕方麻酔医が来て「詳しく検討した結果宮崎さんの場合ドレナージを行わなくても良いという結論になった」という。
脊髄をいじられるのは気持ち悪い部分もあり、却って気楽になった。
通過儀礼の体毛剃り。看護師に若いときだったら大変だったろうといったら「若い人には自分でやってもらいます」といわれた。
一旦サーバーは立ち上げたが、やはり止めておくことにした。ブログで実況中継のつもりだったが断念。

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