2011年9月アーカイブ

墓参

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9月23日秋の彼岸の中日。昨年はチュニジア旅行に出かけ暮れに急遽入院になってしまったのですっかりご無沙汰してしまった谷中の功徳林寺に墓参にいった。honndou.JPG
以前の本堂の耐震性に問題があると建て替えてこの5月には落慶供養の予定だったが、大震災で来年に延期することになったと伺った。
我々年よりはつい従来の概念に捉われて前の本堂の佇まいの方が心落ち着くものがあるが、新本堂もなかなかのものである。屋根のラインなど斬新なかに木造建築のよさをふんだんに見せている。




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裏手に回ると昔からあるお稲荷さんは、鈴木春信の錦絵で有名になった笠森お仙を祀る稲荷の一つとして有名でおきつねさんもなかなか可愛い。





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墓参の後珍しく谷中銀座向かい、ゆうやけだんだんを降りたところにある「魚て津」の名物ランチちらし(¥1,000)を、これも珍しく30分近く並んで食す。出てきたら入るときの2倍くらいの人が並んでいた。確かに乗っている種類は多いが、同じ値段ならネタの良さから近所の「たっちゃん」のちらしに軍配を挙げる。あとで聞いてみたら妻も同意見であった。

谷中銀座をぶらぶらして日暮里駅近くの手焼き煎餅を買って帰宅。久し振りに人ごみに出たら疲れた。

GoyaTana.JPG沖縄近海でうろうろしていた台風15号は動き出したら今度は勢力を保ったまま足早に東日本を縦断していった。このところ掛け声だけの台風ばかりだったのでやや緊張感が足りず、なんら対策を取らないまま昨日午後になっての暴風に慌てたが後の祭り、窓を閉めてじっとしているばかりだった。
中心が通過するかしないかのうちに風も収まったので、庭側の雨戸を開けえ様子を見ようとしたのだが何かがつかえていて開かない。 そのうちに男子サーカーの五輪最終予選対マレーシア戦が始まったのでそちらの応援に回ってし
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まった。相手は引いて守るだけではなかったのでもう少し楽に勝って欲しかったが、一先ず勝ち点3でよしとするか。

朝起きて見ると、ゴーヤーの棚が崩れてしまっている。今年は春先に入院していたので竹を切りに行く暇が無く、古い虫食いの竹を使ったのであちこち折れているし、家の壁に打ち付けた金具が外れてしまったのが原因である。仕方ないので、今年はこれで片付けることにした。また向いの旦那が裸で2階の窓から下着をはたく姿を見なければならないのが嫌だが、周りの家の生垣を手を伸ばして切って回っているような変人なので、文句を付けると何をされるか分からない、まさに不気味な隣人ではある。

先日、そろそろゴーヤーも終わりなので
            秋立ちて やうやくゴーヤー 配り了へ
などと迷句をものにしたところだが、片付けてみるとまた我が家だけでは処分不能な数のゴーヤーが出てきてしまった。また貰ってくれる人を探さねばならない。

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8月に榊原の保険適用のリハが終了したので、市の体育館のトレーニング・ルームに行ってみる心算だったのだが、例の転倒事件でのびのびになっていた。ゴーヤーの片付けもそこそこに10時からのビギナーズ・レッスンを受けに出かけた。
簡単な説明だけで後は自己責任でどーぞとのことなので、筋トレを2セット後、トレッド・ミルで30分歩いて帰宅した。65歳以上は3時間100円、駐車場はシルバー割引が無いので200円。
榊原に保険適用外で行くと1回4,500円掛かるので、若い看護師や理学療法士は居ないが仕方が無い。何とか来スキー・シーズン後半での復帰を目指してここで頑張ろう。


大昔(最近はすべてこれで済ますことにしている)、自社技術の工業化プラントの試運転に際して現場の責任者をお願いしたT氏が亡くなったとの知らせがあり通夜に参列した。
いかにも豪放磊落に見える体躯からは信じられないような繊細な神経の持主で、責任者をお願いしてしばらく経った頃から休みがちになってしまった。状況を聞いてみるとどうやら鬱になってしまったらしい。
現場の親分として取り仕切る彼の力は絶対に必要なので何とかせねばならない。現在の常識からすれば絶対してならないことだが、家を訪ねとにかく頑張って出てきてと懇願した。幸いしばらくして何事も無かったように出社してくるようになった。 そしらぬ顔で見ていたらさすが親分、彼が出てくると途端に現場が見違えるようにきれいになり士気が高まったのに改めて感嘆したものであった。後日、本人自ら「宮さんは人が調子が悪いというのに押しかけてきて、眠れなくて死んだやつは居ないとか、眠れなかったら朝2時でも3時でも会社に来れば良い」などと言うんだからと言っていたのを聞いた。

因縁浅からぬ同年代の一人が亡くなるのは寂しい限りだが、昨夜の通夜で見かけた昔の仲間達が歳を経て皆良い顔付きになっていたのはすごく嬉しかった。(この一行がたまらなく書きたかった)
顔が見えない人の消息はあえて聞かないことにしよう。 
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同時多発テロから10年、東日本大震災から6ヶ月。

10年前、初めて妻と二人での海外旅行にヨルダン、シリア、ロンドンに向けて出発前夜であった。テレビで世界貿易センタービルが崩壊する様を見て大いに悩んだ末、ままよとばかり一睡もせぬまま成田に向かったこと。
6ヶ月前には大動脈手術のため榊原記念病院に入院当日頚部のエコー検査を受けている途中、大きなゆれで検査が中断したことなど個人的にも大きな事件と重なり大変印象深いものがある。

あれから10年、テロとの戦いを宣言したテキサスのマッチョに率いられアフガニスタン戦争に突入、続いてイラク戦争と日本も小泉政権の
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もとこれに協力してきた。そして一体何が得られたのだろう。アフガニスタン、イラクとも欧米の植民地的な状態になっているだけで、とても安定した独立国家とは言えない状態である。アメリカが撤退後はイスラム原理主義者による支配に変わるか戻るかしてしまうような気がしてならない。
昨年チュニジアの体制崩壊をきっかけとして起きた中東の民衆革命で次々と独裁者が倒されていく様を見るにつけ、両国とも一旦は原理主義者の勝利に終わってもいずれは国民皆が自らの手で自由を勝ち取る日が来るだろう。両方の戦争はこれにブレーキを掛けただけだったのではないだろうか。

手術後6ヶ月のほうは、張り切りすぎてボードで転倒した痛みも殆ど消え先週は那須に仲間に来てもらってリハビリゴルフに付き合って貰った。極度に飛距離が落ちたが何とか2日続けてラウンドし、夜はおさんどんも勤められた。
頻脈で少しきつい運動をすると脈と息が上がるのは困ったものだが、今後のリハビリで改善できると信じて努力するしかない。でも残暑がきつくて...

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