鎌倉歴史散歩 2015年4月

前夜は錦織圭選手のバルセロナ・オープン決勝戦を観戦。 準決勝での快刀乱麻を断つようなプレー振りが嘘のように押されっぱなしの試合展開で寝るに寝られず床についたのは深夜2時半を回っていた。

眠い目を擦りながら家を出て鎌倉駅東口に12時少し過ぎに到着。 軽く昼食をと思っていたのだが、すでに1班目はスタートしていて集合場所にもかなりの人がたむろしていたので直ぐに参加登録をした。 先着順の出発で講師の順番が決まっていないので毎回同じ講師の方につくのはなかなか難しい。

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バス停光明寺下車

今日の主体は材木座地区の名刹「天照山光明寺」、1243年創建というが殆どの伽藍は江戸時代に再興されたもののようだ。「光明寺前」でバスを降りると目の前が「総門」である。
総門は伽藍の中では一番古く江戸初期1620年代に立て直されたもので「勅願寺」の扁額や、門に取り付かれた菊と桐の紋章が天皇や将軍との係わり合いの深さを示している。

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巨大な三門

総門をくぐると大きな空間が広がっていて正面に大きな三門が見える。鎌倉最大というだけ有って間口16m高さ20mの大きな山門だ。両脇に仁王像は無いが、2階に釈迦三尊と四天王更に十六羅漢が祀られている。2階には以前は特定の日にしか上がれなかったようだが、今では20名(分)集まれば一人500円すなわち1万円で見学が可能だそうだ。まるで天守閣に上がるときのような急な階段を上がり2階に上がる。
江戸時代末期1847年再建というのだからP1000772170年近く経っているのにあまり木部にあまり傷みが無い、約50年経過の同じ木造の我が家も手入れさえしていけばまだまだ大丈夫などと妙なことを考えた。
釈迦三尊はともかく四天王、十六羅漢は極彩色でどうも居心地が悪い。2階からの眺望はさすがに素晴らしい。総門越しに見える材木座海岸、稲村ヶ崎の向こうに江ノ島がかすんで見える。

P1000793三門の先はこれまた大変大きな大殿(本堂)が向かって右に鐘楼がある。とても大きくて姿の良い鐘楼だ。大殿(本堂)は自由に見学が出来る。日頃信仰心はまったく無いほうだが、こういうところに来ると何故かご本尊の前に座ってみたくなる。日本人だけかと見ていると外人さんも同じ様にしていた。本堂右手には「三尊五祖の石庭といわれる枯山水が、左手には小堀遠州作庭と言われている庭園があるが、正直なところどちらもしっくりこなかった。なにか全体の寸法のバランスが悪いと思うのは私だけだろうか?

 

P1000805弘長2年(1262年)銘の石碑を過ぎ本堂裏手の山に登ると「かながわの景勝50選」に選ばれた絶景ポイントがある。景勝50選の石碑のあるあたりは木が生い茂っていてその手前に展望台が設置されていた。暖かい日で残念ながら富士山はかすんで見えなかったが、良く見れば長谷寺も見えるそうだ。

P1000807さらに先に進むと開祖良忠上人の墓、開基北条経時の墓がある。五輪塔、宝篋印塔、無縫塔など色々な形の墓石が並んでいる。

 

 

 

鎌倉市立第一中学校の脇を通って山を降りてくると光明寺の大パトロン内藤家の墓所に出る。まったく予備知識を持たないので巨大な宝篋印塔と灯篭、地蔵などが所狭しと並んでいる様をみてまずびっくり、さらにこれが内藤家という一族のものと聞いてまたびっくりした。行ったことは無いがまるで兵馬俑のようだ。一体どうやってこんなものが出来上がったのか知りたいものだ。

和賀江島
和賀江島

海岸線に出て和賀江島を見て飯島バス停に出て解散となる。バスは15分待ちだというので天気も良いので歩いて鎌倉駅に。駅のデリフランスで喉を潤して横須賀線に乗ったら妻がスカーフを忘れて来たという。たいしたものではないので諦めかけたが大船駅に着いたときに一応店に電話を入れた。対応に出た男性従業員が、見つかったので丁度今から帰るところなので大船まで持ってきてくれると言っているとの事。待つことしばし、若い気の良さそうな男性が届けてくれた。幸い乗ってきた電車に再び乗る事が出来て去っていく彼に最敬礼。終わりよければで気分の良い一日になった。

 

 

投稿者: yasu

今年6月で79歳、なにかにつけて80近いのだからと妥協してしまう今日この頃です。

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