Val d’Isere

20年以上続いてきたT氏主宰の海外スキーだが、昨年のVailで終了になってしまった。
長いこと続けてきたものがなくなるというのはなんといっても寂しいので、急遽少人数でフランスのヴァル・ディゼールに行くことになった。まだ右目の具合が思わしくないのでどうしようかと思ったが、ヴァル・ディゼールは2004年に季節外れの大雨が降り続き1週間滞在して1日しか滑れなかったという心残りもあって参加することにした。

ヴァル・ディゼールへ

DSC015641月23日(土) 成田発チューリッヒ経由でジュネーブへ飛びさらにバスに揺られること3時間、我が家を出発して24時間の長旅の末今回の宿、Hotel Les Cretes Blanches(白い尾根)にたどり着いたのは21時30分を廻っていた。

DSC01570宿のオーナーのバキエさんは日本滞在が長く日本語がペラペラ、素敵な奥様のジュンコさんは日本人、ゲレンデを見渡せる部屋に用意された夜食が嬉しい。この日は持参の日本酒で無事到着を祝い床についた。

1月24日 滑走一日目

P1010252このスキー場は75歳以上はリフト券が無料というので少し早めに宿を出てリフト券売り場に行く。78歳だと言うとしばし顔を見ていたがパスポートを渡すとにっこりして何日滑るのかと聞かれた。「6日間の予定だが年齢は減ることは無いので一生滑れる券はないの?」「普通のシニア券なので日数を指定しないと有効にならないの」といったやり取りがあって無事ゲット。これまでいろいろなスキー場に行ったが、75歳以上は無料というのは初めてで、なにかずいぶん得をしたような気分だ。なを、通常の6日券は270€、シニア券は216€でアメリカに比べると随分安い。Vailで6日券を買うとシニアでも870$もする。

チェアリフト Solaise Express でSolaise(2560m)まで上がったが、後続が何人か来ない。どうやらOさんのリフト券に問題があってゲートを通れないらしい。理由はともかく一旦降りて再合流しようと一気に下まで滑り降りた。この下降ルートは中級者向けの赤線で表示されていて、12年前の湿雪のコブの嫌な思い出がよみがえってきたが、今回は雪面が良く締まっていてシーズン初すべりの割には気持ち良く滑れた。

リフト券の修正しが済んだOさんと合流して、今度はゴンドラでRocher De Bellevarde 2827m に上がり上部の緩斜面で気持ちよく足慣らしをする。

このエリアからの帰りは下部に何か所か狭いところがあって、昨年8月から故障続きで運動不足の私は安全第一に滑り降りたが、降りてからの道がほんの少し登りになっていてこれもこたえる。12年前腐れ雪から足が抜けなくなったところやその時泊まったロッジなど懐かしく横目で見ながらようやく帰還、疲れました。

夜は近くのLa Casseroleで夕食。鍋ごと出てくる煮込み料理で牛、豚、魚を選べる。私は豚を選んだ。味は良いが、時差ボケの歳よりにはなにせ量が多すぎる。

1月25日 滑走2日目

DSC01596
谷の朝は遅い。朝8時35分、予約遠くの白い峰と右手の岩稜に陽がさしてきた。

今日も快晴、窓から見る景色も朝日がくっきりと当たって素晴らしい。

今日はVal d’Isereエリアの左側、Pissaillas氷河地区へ滑りに出る。Solaise リフトで上り、足慣らしにGlacierリフトを一本流してもう一度上がったら後続のSさんが転倒して怪我をしたようだとの情報が入る。

もうすぐリフト乗り場というところで地元(?)スキーヤーと交錯し、腕を怪我したらしい。いつもしんがりを務めてくれているMさんが手配したのか既に近くの小屋でパトロールのスノーモービル待ちの状態であった。スノーモービルでゴンドラの駅まで行き下には救急車を呼んであり、診療所に連れていくとのことである。誰かついて行った方が良いと思ったが一緒には行けないし、どうしようかと思ったが宿のジュンコさんに電話して診療所に行ってもらうことにしたとのことなので一安心した。幸い怪我をした Sさんは英語のヒアリングは私より達者だし勘もよいので大丈夫だろうと冷たいようだが予定通りPissaillasエリアに行くことにする。(後日Sさんから聞いたところでは最初に来てくれたパトロールが病院までのすべての手配をし、スノーモービル->ゴンドラ-> スノーモービル->救急車と全く待たされず、しかも最初のパトロールが病院まで付き添って来てくれたとのことだった。さらに後日対応についてアンケートまで送られてきたそうである。スキー場の保険に加入していない場合は救急車を含むすべて費用は請求されるとはいえ、この辺りの対応は見習いたいものだ。オリンピック招致以来すっかり「おもてなし」の国のつもりになっているが、そもそもサービスは無料という感覚の日本人にはこのように「かっこいい」対応は無理なのかも知れない)

Pointe Du Montet 3426mを望む地点
Cascadeリフト終点からDu Montet 3426mを望む地点

先ほどのリフトの終点から少し降りたところ約2700m地点から、交通用のLeissieresリフトに乗ると急斜面を上がっていき尾根に出ると足元が切れていて、思わず歓声が上がる。今度は怖いような急斜面を下ってPissaillas氷河エリアの約2700m地点に到着する。
少し下って長いTバーを一本滑りCol de L’Iseran2762mへ登る。

尾根を越えると急降下
尾根を越えると急降下、帰り道の尾根越え

今度はもう少し下まで降りてVallonというチェアリフトでもとに戻り、そこから Cascadeというリフトに乗る。この地点の標高は多分3100m前後か、この先の短いTバーに乗ればこのエリアの最高点だがさほど魅力的なバーンでもない。

Sさんの様子が気がかりだし、悪いことにMさんの奥様のお母さまが急逝されたとの連絡も入り早めに切り上げることにする。

DSC01628宿について暫くするとジュンコさんに付き添われてSさんが帰ってきた。左手首の脱臼骨折に加えて右手小指の剥離骨折があるという。左手首は手術した方が良い、ここから2時間ほどの病院に手の手術のゴッドハンドが居るからと勧められて既に予約を済ませ診断書を貰ってきていた。慣れないフランス語の国で手術を良く決断したと思うが、結果は大正解だった。宿のオーナー夫人に付き添って貰えたこと、さらに彼女が日本人で、フランスの医療レベルに通じていたことなどまさに不幸中の幸いだった。

夕食は昨日のレストランでチーズ・フォンデユ、Sさんもこれなら片手で食べられてラッキーと元気に顔を出したのでほっとした。但しフォンデュは塩辛くて駄目。リフト代無料のお礼代わりに白ワイン2本を提供する。

1月26日 病院へ

まだ時差が取れないのか朝早く目が覚める。今日入院するSさんの付き添いはチケットが取れ次第帰国することになったMさんにお願いすることになっていたが、次第に事態が飲み込めるようになって考えると退院の時の事もあるしもう一人同行した方がよさそうだ。今回が初滑りで海外にきて、2日間滑れないというのは一寸抵抗もあったが、年寄りは休めという天の配剤かと起き出してTさんに申し出る。

朝8時30分、まだ帰国便の手配が付かないMさんが降りたのでKさんに付き添ってもらって3人で病院に向かう。一昨年オーストリアの病院に行ったメンバーからその時怪我をした当の本人が居ないというだけだねと大笑いになる。

DSC01634目的の病院まで約130km、まずは北北東へ向かっているようだ。朝日の当たる白い山並みを見ながらあの向こうにはモンブランが、とすると右手はイタリア・クールマイユールなどと思ってドライバーに山の名前を聞いてみたが、フランス語の聴き取りは難しく結局要領を得ないで終わってしまった。Sさんの診断書も見せてもらったがフランス語で書かれているので詳しいことは分らないが、単なる診断書で日本でいう紹介状ではないらしい。電話で予約が入っているという話だが、果たして目的の受診科にたどり着けるのか心配だが、まあ受付でこの診断書を見せれば何とかなると腹をくくる。

DSC01645車は途中から西に向かいアルベールビルを通過してリヨンの方角へ向かっていき丁度2時間くらいでChamberyの町はずれにあるMedipol De Savoirに到着した。早速受付に行き英語で話しかけるが全くだめでくだんの診断書を見せると、身振りで右手の廊下を入ってすぐ右に曲がったところの部屋に行けという。
そこはどうやら「手腕外来」とでもいうのか手の平のマークが付いた用箋を使っているようなところで、女性に診断書を見せると話はついていたようでしばらく色々質問されたが、やがて若い白衣を着た若い先生が出てきて持参のレントゲン写真を見てから流暢な英語で「患者が多いので確約は出来ないが出来るだけ今日中に手術するように努力するが、明日になってしまうかも」という。

DSC01642今度は麻酔科に行き、いろいろな書類を書かせられるが名前、住所欄などはフランス語でもなんとか推定はつくが、4-5ページに亘る既往症だのアレルギーだのについての質問票は全く始末に負えない。その旨窓口に申し出ると、ちょっと待ってと言って外で待っていたやはり左腕を釣った若いお兄さんに通訳を頼みに行ったようだがどうも全然ダメのようだ。しばらくしたら英語のコピーを探し当てたらしくこれを書けという。英語でも医学用語は分らない言葉ばかりだが、幸いSさんはアレルギー体質でもなく、病歴も入院歴もないとのことなので問題なさそうなところはすべてNOにチェックをつけてしまった。
書類を書き終えて廊下でしばらく待たせられてから部屋に呼ばれてまたいろいろ聞かれてもう一度玄関の受付に戻ると番号札を渡された。

受付前のブースに番号が表示されたので入ると書類を調べ、隣の会計に移って費用を前払いする。総額日本円にして31万円ほど、保険適用外で手術と入院費思っていたより安かったが、何よりも先払いというのにはびっくりさせられた。

ここまでたくさん書類を書かされたりお互いに片言の英語でいろいろ聞かれたりしてややうんざりだったが、診察もなければレントゲンもとらず昨日の診断書だけで手術内容を決め費用が計算されているとは驚きである。日本ならまず診察、レントゲンを撮って手術日を決め前日に入院という運びになるところだろうからこちらの方がよぼど合理的だ。

DSC01655費用を払い終わると病室へ。暫く待たされたが通された部屋は二人部屋で先客の女性が部屋についているシャワー室で体を洗い着替えているところであった。さて手術は何時ころからか、誰に聞いてもわからない。救急車の音もしょっちゅう聞こえるし、そもそもこちらが予定外の患者なので無理もないが、夕方4時を過ぎ我々付き添いも今晩どうするか決めなければならない。
電話でジュンコさんに助けを求めたところ折り返し電話があって「やはり手術時間ははっきりしない。ナースに確かめたら外国人の扱いには慣れているし英語で意思の疎通は出来るので心配ないと言っている。適当な時間に引き上げたらどうか」というので5時半にタクシーの手配を頼んだ。

そうしたらなんと5時少し前に何の前触れもなくストレッチャーがやってきて、その場で手を振って別れる。夕時のラッシュの中また2時間タクシーに揺られて宿についたら丁度夕食の時間で、今日はホテルの食堂でラクレットだった。

何もしなかったのに妙に疲れた一だった。午後9時過ぎにSさんから「無事手術終了、どうやら鉄板を入れられたみたい」というメールが入る。鉄板?と思ったがこれで一安心、一緒に行ったKさんと日本酒でお互いの労をねぎらった。

1月27日 退院

朝8時今日はOさんと一緒にタクシーで病院へ。女性の運転手で途中古い領主の城など説明してくれた。10時少し前に病室に行くとSさんは元気そうに左手を見せて指を動かして見せた。昨日は手首がなにか妙な具合に固定されて指は全く動かせなかったようだったが、今日はギブスもしておらず一寸手首に怪我をしましたという感じに見える。レントゲンを見ると橈骨の手首側の骨端部に近いところにハート形をした金属が入っていて細いボルトで止めてあるようだ。右手小指はVal D’Isereの診療所で固定したままで包帯も取り替えてくれていない。

10時半頃迎えに来ると言ってあったので、既に英語で書かれた診断書と今後の処置の仕方、フランス語の処方箋が用意されていた。その後大判のレントゲン写真を撮り退院となる。費用の追加は一切なしで、明細は後日メールで送られてくるとのことであった。

待たせていたタクシーに乗り12時半頃には宿に帰り、近くの薬局で処方箋通り痛み止め、傷の手当て用の絆創膏、サポーターを購入した。

1月28日 ティーニュへ

朝7時10分、金星と月
朝7時10分、金星と月

Val D’Isere 5日目の朝。夜明けの空に金星を伴って出ている月は周りにもやがかかっていて、今日は少し雲が多い一日になりそうだ。

3日目、4日目と私に遠慮して(?)行かなかったTignes(ティーニュ)エリアに向かう。ゴンドラで登り長い緩中斜面の滑降を何回か楽しんでTignesの街(2100m)の少し上にあるVal Claret

3456m地点から。白いpピークはLa Grande Motte 3656m「
3456m地点から。白いpピークはLa Grande Motte 3656m

から地下を走る280人乗りのケーブルカー(Funiclair)にのり一挙に3,032mに。そこからゴンドラに乗るとそこは3,456mだ。

良く整地されたピステをVal Claretに下り一休みしている間にうす曇りになり、斜面の凹凸が全く見えなくなる。ここから帰路につくが斜面が見えないと怖さが先に立って我ながら情けない格好でようやく帰り着いた。

1月29日(金) 最終滑走日

今日も快晴、この一週間暖かく穏やかな天気に恵まれた。なにか突然最終日になってしまった気分だが、明日早朝には帰国の途につかなくてはならない。

DSC01701今日はいつものようにゴンドラでRocher De Bellevarde 2827mに上がり、ビデオを撮りながら右側の斜面を降りてVal D’Isereの少し下のLa Dailleから出ているもう一つの地下ケーブルカーFunivalに乗りに行く。

こちらは220人乗り、まるで巨大な芋虫のようなFuniculaireに比べれば見慣れたケーブルカーだが、出発してまもなく岸壁を穿ったトンネルに入っていく様はなかなかのものだ。

一休みしてケーブルに乗りBellevarde戻ったところで、皆と別れ早上がりし、店が昼休みに入る前にタラバガニを一肩と白ワインを仕入れる。

 

 

1月30日(土) 帰国へ

早朝ホテル発、ジュネーブ空港へ。
チューリッヒ経由で1月31日(日)朝無事成田空港に到着した。

ジュネーブ空港
ジュネーブ空港

投稿者: yasu

今年6月で79歳、なにかにつけて80近いのだからと妥協してしまう今日この頃です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です