大動脈解離、病気、健康の最近のブログ記事

vNEC_0139.jpg加齢黄斑変性症の3ヶ月点検に行くと朝9時というのに普段の倍くらいの患者で、廊下まで人で溢れている。いつもどおり視力検査、網膜の断層撮影をして医者の診断を受けたのは11時過ぎだから、さほど待たされたわけではないが、大学病院にこれだけの患者がいるというのもなにかおかしい。


DSC01294.JPG2月29日思いがけない大雪になった。明け方から本格的に降り出した雪は昼ごろ20cm近い積雪となった。湿った雪で午後から気温も上がったので家の前の道路の雪かきに一汗かいた。

28日は手術後1年目の検査を受けた。血液検査、X-線、心エコー、造影CT検査を終えて医師の説明を受けたが、「外科としては問題ありません」の一言で終了。現状の問診も無ければ、これからの生活指導も全くなし。内科的なことは紹介元の市民病院に聞けと言う。
3月2日は心肺機能検査。頑張って続けてきたリハビリの効果はと期待していたのだが、「これまで通りのリハを続けてください」で終わり。
帰宅してデータを眺めると確かに限界運動負荷量は上がっていないが、そのときの酸素摂取量は増えているし、最大酸素摂取量も増えていると自らを慰める。

一番知りたかったのは、これからどうすれば良いのかということなのだが結局答えは得られずじまいであった。今となっては検査データは市民病院より榊原の方が多いので、近所のかかりつけ医に相談して榊原の循環器内科に紹介状を書いてもらうしかないのだろうか。 医者としてお互いの面子を尊重する立場があろうから仕方ないのかも知れないが、患者からしてみるともう少し親身になってもらいたいものである。

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雪が解けて節分草が顔を出した。我が家に来て14年目、このところ花数も大きさも最盛期の半分位になってしまったが、何とか頑張っている。山野草は下手に肥料をあげられないので困る、小生も無理な運動は禁物か、でも負けずに頑張らなくては...

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中央道から
(左)白峰三山
(右)甲斐駒ケ岳





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諏訪湖の御身渡り







2月10日(金) 1年10ヶ月ぶりにスキーに行きました。Kさんに運転を頼み、快晴のなか南アルプス、八ヶ岳、振り返れば富士山の眺めを楽しみながら戸狩温泉スキー場定宿の「メープルハイム」に到着。 http://www.bpmaple.jp/
仲間と宿のご主人夫妻、隠居、失礼!会長御夫妻の笑顔に迎えられる。昨年の今頃はもうここに来ることはないかと落ち込んでいたことを思い出すとちょっとうるっと来てしまった。

昨年の12月、痛くも痒くもないのに突然大動脈解離を宣告され、1月以降の予定をすべてキャンセルせざるを得なくなったとき、医者に「手術すればスキーが出来るようになりますか?」と聞いたのを思い出す。 手術を決断したのも、手術後つまらないリハビリに精を出したのも、もう一度スキーに行きたいというのが大きなモチベーションになった。まさにスキー万歳! スキー仲間に感謝!である。私より危険な頭部の大手術に耐えたOさんも駆けつけてくれ、夕食には共に皆さんに生還を祝ってもらった。

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今年の長野はまさに「雪が無くても困るが大雪はこれまた大変」状態である。戸狩も雪崩の危険があって上部のリフトが動かせないなどスキー客の減少に拍車がかかってしまいそうで心配だ。いつも昼食をとりに出かける蕎麦屋も店をたたんでしまっている。
そんな中、宿の皆さんの何時もと同じ笑顔と会長が朝から準備してくれた自慢の手打ち蕎麦を馳走になる。




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スキー場には迷惑な話だが再び振り出した雪が大雪になり国語研究会がメインになってしまった。これも今回はあまり無理をするなという天の配剤かも知れない。
これまで大袈裟だと敬遠気味だったヘルメットを購入。何本か滑るうちにかなり調子が戻ってきた。リハビリと筋トレの成果か、呼吸も足の筋肉も問題ない。ヘルメットは28日の検査でDr.ストップがかかったときは返品保障付きにと冗談をいう。そんな冗談も聞き取って貰える程度に声のほうも回復してきていると皆さんからお墨付きを貰った。一思いに手術に踏み切ろうとしていたのだが、思い直してもう数回声帯へのコラーゲン注入を続ける決心をする。

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2日間の雪で埋まってしまった車を掘り出して帰路に着く。帰りは八ヶ岳の大パノラマと夕焼けの富士を見ながらの走行である。連休なので大渋滞を覚悟して出たのだが、思いのほか渋滞区間が短く5時間弱で寒い我が家に到着した。








大晦日

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大震災+大動脈手術、波瀾の年もあと3時間あまりとなった。昨年末突然2週間の安静を命じられ入院、30日になって一旦退院の許可が出たものの、外科担当医の意見を聞くのに半日待たされ「もうこんな病院で手術なんか受けるか!」と妻とタクシーで暗い気持ちで冷え切った我が家に帰って来たのを思い出す。

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それから一年、まだこの先不安なところもあるが今は2月末予定の一年点検を無事通過してスキーに復帰すること、夏には金婚記念旅行にアラスカに出かけたいという目標を立ててリハビリに励んでいる。


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この一年多くの方にご心配をお掛けした、感謝の気持ちを込めて寒梅を開け、若狭の小鯛の笹漬けで一杯。 残りの短い人生を太く短く生きられるよう手打ち年越し蕎麦を食しているうちにN饗の第九も第4楽章になった。

昨年の今日12月17日、CT検査が終わった途端に救急外来に回され即ストレッチャーに乗せられてHCU(High Care Unit)に連れて行かれ、用足しは尿瓶と差し込み便器という絶対安静を命じられた。
まさに驚天動地とはこのことかという事態だが、ベッドの上で先ず考えたのは妻にどう言ったらショックが少ないか、1月のアメリカスキーのキャンセルを急がなければなどで、これからの事は意外にさっぱりと「まあ良く判らんが仕方ないか」と言った程度でそれほど悲観的にはならなかった。

手術まで身体の不調を感じたことは一切なかったので、大病を患ったという実感はなく手術で傷つけられた身体のリハビリをしていること自体が未だにピンと来ていない。
冷静に考えれば幸運に恵まれて破裂する前に発見されたのだから「もう少し生きていろ」ということだろう。それならば、好きなことが出来るようにと週2-3回のリハに精を出している。

今日は大学の研究室が一緒の佐久間君の葬儀だった。卒業後別の会社に入ったつもりが、こちらの会社が彼の会社に吸収合併されてしまい何の因果か同じ会社になってしまった。かの佐久間艇長の孫というので、出身地の若狭から町長が来て弔辞をのべるなど凡人のうかがい知れない世界にもいたようだ。冷たいようだが「死んで花見がなるものか」、身体が言うことをきくまで、ボケるまでは旨い物を食い、うまい酒を飲めるように頑張るぞ!
コラーゲン注入といってもしわ伸ばしや、勿論豊胸のためではない。手術で神経を痛め動かなくなった左側の声帯の萎縮が進んでいるので、これをコラーゲン注入で太らして少しでも隙間を減らしてみようと昨日2回目の注入を受けた。
喉に麻酔をかけた後、先が曲がった妙な形の注射器でコラーゲンを注入、待ち時間を入れても1時間強で終了した。注射後は喉がつかえる感じで声が出しにくくなり、時々喉がひっくり返ったような高い声が断片的に出たりするので今度は少し効果が出るかと期待したのだが...

今朝になってみるとあまり変化は無い。
医者は3回は打たないとというのだが、1割負担でも6千円近い費用と時間の無駄のような気がする。おまけに次回3回目は暮れも押し詰まった12月27日しか空いていないという。まあ忘年会1回を断る理由にはなるかと思い直して予約をして帰った。
9月13日に国際医療センターで診察を受けた際、差し当たり手術でなく麻痺して萎縮している左側の声帯にコラーゲンを注入して隙間を減らして見ようということになった。日頃血液を固まりにくくするワーファリンを服用しているので、手術前のワーファリン抜きについて榊原からやや面倒な情報提供が帰ってきたのが原因のようだ。こちらは手術を覚悟して入院の日取りまで決めてこようと意気込んで出かけたのでなんとなく肩透かしにあったような気分だった。その日はアレルギーのテストのため注入するコラーゲン少量を腕の皮下に注入して帰宅した。

昨日10月11日、第1回のコラーゲン注入。 先ずは音声の検査、筒を咥えて「あー」と言えというのだが殆ど声らしいものがでない。次に血液検査に行かされる。かなり慎重な先生で、ワーファリンのことが気になって凝固時間などを調べさせ、採血後の出血状況などを見たうえでようやくそれではやりましょうということになった。

先ず若い先生が出てきて胃カメラを飲むときのように、ゼリー状の麻酔剤をしばらく口に含んだ後、声帯の辺りに霧状の麻酔剤を吹き掛ける。暫くして医長先生が注射器を持って現れ、若い先生が鼻から挿入した内視鏡で見ながらなにか無造作に注入してゆく。始める前に2時間以上待たされたが、始めたら30分くらいで終わり、出血を防ぐための吸入をし抗生物質を貰って帰る。

麻酔のせいか喉にタンがからんだような感じで声が出しにくい。息が出来なくなると大変と時々確認のため時々大きく息を吸ってみる。誤飲が怖いので麻酔が醒めるのを待ってお茶を飲む。
2-3日はあまり喉を使わないようにということだが、一晩経ってつかえた感じは無くなりはしたが、しわがれ声は相変らずだ。でも少しは声らしくなった気もする。年内にあと2回注入をする予定だが、どこまで回復するのか楽しみだ。

昨日薬を貰いに近所のかかりつけに行ったら9月の血液検査の結果が出ていた。野菜をたくさん食べたせいかワーファリンの効きが悪い。 チラッと検査結果一覧を見ると気にしていてヘモグロビンA1cがなんと4.9に下がっているではないか。 昨年末の入院で糖尿病予備軍と診断されて以降、粗食に耐え酒を減らして体重に気を遣ってきたのだが、どうしても6を切らなかったものが、全くの正常値になったとはなんとも嬉しい。 夜は〆たいわしを肴に乾杯!
GoyaTana.JPG沖縄近海でうろうろしていた台風15号は動き出したら今度は勢力を保ったまま足早に東日本を縦断していった。このところ掛け声だけの台風ばかりだったのでやや緊張感が足りず、なんら対策を取らないまま昨日午後になっての暴風に慌てたが後の祭り、窓を閉めてじっとしているばかりだった。
中心が通過するかしないかのうちに風も収まったので、庭側の雨戸を開けえ様子を見ようとしたのだが何かがつかえていて開かない。 そのうちに男子サーカーの五輪最終予選対マレーシア戦が始まったのでそちらの応援に回ってし
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まった。相手は引いて守るだけではなかったのでもう少し楽に勝って欲しかったが、一先ず勝ち点3でよしとするか。

朝起きて見ると、ゴーヤーの棚が崩れてしまっている。今年は春先に入院していたので竹を切りに行く暇が無く、古い虫食いの竹を使ったのであちこち折れているし、家の壁に打ち付けた金具が外れてしまったのが原因である。仕方ないので、今年はこれで片付けることにした。また向いの旦那が裸で2階の窓から下着をはたく姿を見なければならないのが嫌だが、周りの家の生垣を手を伸ばして切って回っているような変人なので、文句を付けると何をされるか分からない、まさに不気味な隣人ではある。

先日、そろそろゴーヤーも終わりなので
            秋立ちて やうやくゴーヤー 配り了へ
などと迷句をものにしたところだが、片付けてみるとまた我が家だけでは処分不能な数のゴーヤーが出てきてしまった。また貰ってくれる人を探さねばならない。

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8月に榊原の保険適用のリハが終了したので、市の体育館のトレーニング・ルームに行ってみる心算だったのだが、例の転倒事件でのびのびになっていた。ゴーヤーの片付けもそこそこに10時からのビギナーズ・レッスンを受けに出かけた。
簡単な説明だけで後は自己責任でどーぞとのことなので、筋トレを2セット後、トレッド・ミルで30分歩いて帰宅した。65歳以上は3時間100円、駐車場はシルバー割引が無いので200円。
榊原に保険適用外で行くと1回4,500円掛かるので、若い看護師や理学療法士は居ないが仕方が無い。何とか来スキー・シーズン後半での復帰を目指してここで頑張ろう。


大昔(最近はすべてこれで済ますことにしている)、自社技術の工業化プラントの試運転に際して現場の責任者をお願いしたT氏が亡くなったとの知らせがあり通夜に参列した。
いかにも豪放磊落に見える体躯からは信じられないような繊細な神経の持主で、責任者をお願いしてしばらく経った頃から休みがちになってしまった。状況を聞いてみるとどうやら鬱になってしまったらしい。
現場の親分として取り仕切る彼の力は絶対に必要なので何とかせねばならない。現在の常識からすれば絶対してならないことだが、家を訪ねとにかく頑張って出てきてと懇願した。幸いしばらくして何事も無かったように出社してくるようになった。 そしらぬ顔で見ていたらさすが親分、彼が出てくると途端に現場が見違えるようにきれいになり士気が高まったのに改めて感嘆したものであった。後日、本人自ら「宮さんは人が調子が悪いというのに押しかけてきて、眠れなくて死んだやつは居ないとか、眠れなかったら朝2時でも3時でも会社に来れば良い」などと言うんだからと言っていたのを聞いた。

因縁浅からぬ同年代の一人が亡くなるのは寂しい限りだが、昨夜の通夜で見かけた昔の仲間達が歳を経て皆良い顔付きになっていたのはすごく嬉しかった。(この一行がたまらなく書きたかった)
顔が見えない人の消息はあえて聞かないことにしよう。 

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