9日に退院できることになりました

術後2日ほど吐き気に悩まされましたが後は順調に回復し、今日はすべての管が取れ自由に動き回っています。

昨夕担当医から切除したがんとリンパの病理組織検査の結果を聞きました。このサイズのがんなら多分ステージIIIが宣告されるだろうと覚悟していたのですが、なんとステージIだというのです。実は医者も病理検査に出すときの所見にステージIII aと書いていた位ですから担当医もびっくりの結論だったようです。
ステージIの場合は現在の標準療法に従えば、これで完治となり後は経過観察のみになります。IとIIIでは5年後の再発率に大きな差があるし予防的とは言え副作用のある化学療法をしないで良いので、とにかくホッとしました。

3月8日に血便が出て、大きながんが見つかり、一月も経たないのに手術が終わり、しかも再発転移の確率は小さいレベルであったなど、など、本当にラッキーだったという思いが今日になってますます強くなってきました。

担当医からせしめたがんの内視鏡写真、切除片の写真を載せました。気味が悪い方はクリックしないでくださいね。

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無事生還

3月31日(月) 手術
12日に自分の大腸に巣食う癌にご対面して以来ここまでほぼ想定内の事だったので、明日手術といっても特に不安を感じることはないのだが、なぜか昨夜は寝付きが悪かった。

爪を切りシャワーを浴び手術着に着替え呼び出しを待つ間が長い。午後1時過ぎにようやく1時45分入室という連絡があり、いよいよTパンツというおむつカバーのようなものに履き換える。妻と息子に付き添われて3階の手術室へ。
榊原の時は入った途端に大勢の青衣に囲まれて訳がわからないままに手術が始まってしまったが、今回は手の位置はここ足はこちらへと説明されながら進む。でも「では麻酔を始めます」の一言を聞いてまもなくたつと意識がなくなった。

「宮崎さん終わりましたよ」と(多分)呼ばれて目を覚ますと、既に手術室からICUに移されていた。時間を尋ねると午後5時前だという。予定では4時間と聞いていたが、脊椎硬膜からの痛み止をしなかったので麻酔に要する時間が短縮されたのだろう。妻と娘夫婦、息子夫婦の顔が見え会話をかわすが思ったより声が出たし、別にろれつが回らないといったこともなかった。身体の感じも手術など受けたとは思えなかった。

しかし、妻たちが帰ってから襲ってきた吐き気に悩まされ、ICU内の騒音に近い物音やアラームに殆ど眠れない。2−3回吐いた後、吐き気止めを注入してもらい更に点滴から入れている痛み止めの副作用かも知れないというので量を2/3にして貰う。

4月1日(火)
明け方になってようやく吐き気が収まるが眠れない。11時にICUを出て病室へ。
午後看護師に術後は早く動いたほうが予後が良いと催促されて歩き始めたが、ものの20mも行かないところで吐いてしまう。腹の傷が痛いだけで粘液が少し出るだけなのだが、落ち着いたところで病室に戻る。
妻は付き添ってくれているのだが、どうせ食えないのだから少々腹具合が悪くてもとふてくされてうとうとしているよりしかたない。

 

4月3日(水)
朝になってもむかつきが収まらないので主治医に訴えると、では痛み止めの点滴をやめましょうという。もう水を飲んでも良いので午後から痛み止めの頓服と胃の薬を出しますという。ガスがでないと水をくれないと思い込んでいたが、切ったところが大腸末端なので少々水を飲んでも届かないということかなと一人合点をする。

午後竹やぶ仲間が見舞いに来てくれた。それまで調子の悪いのを口実にグダグダしていたが、点滴、尿管とドレンをつけたまま談話室にいきあれこれ話す。「これくらい元気なら大丈夫だ」といって帰っていったが、こちらもやや疲れたが元気がでた。

 

不覚にも大腸がんに

大動脈置換手術後3年が経過してどうやら健康に自信を取り戻し始めた矢先、不覚にも大腸(S字結腸)に進行癌が見つかり、今日(3/31)の昼ころから摘出手術が始まります。幸いにも他臓器への転移は今のところ見つかっていないので 、出来るだけ早くこれまでの生活を取り戻したいと思っています。
 
経過
尾瀬岩鞍スキーから帰った翌々日の3月8日(土)朝、少量の下痢便と共に血便がでました。紫ががかった赤い血便だったので大腸か痔か、どうも痔の出血ではなさそうなので近くのかかりつけ医が開くのを待って相談に行きました。今日明日ワーファリンを抜いて様子を見て、月曜日に市民病院に紹介状を書いてもらうことにしました。その日はそのまま落ち着いていましたが、翌日曜日は何度も便意を催しそのたびに少量の血便がガスと一緒に出ました。
その時点でこれはただ事では済まないと考えて、滑り納めのキロロ行きなどの月末の約束をすべてキャンセルすることにしました。
 
月曜には症状は収まりましたが、11日(火)に市民病院に行き翌12日に緊急で内視鏡検査をを入れてもらいました。朝早くから自宅で下剤と腸洗浄剤を2L飲み、ほぼ出るものがなくなってから病院へ。
内視鏡が一旦大腸の入り口まで行って戻ってくると何やら大きな塊が見えました。直径約40mm、癌とわかるまではポリープと言うらしいが、こんな大きなポリープが良性の腺腫である可能性は殆どないのでこれは癌に違いないと思いました。検査している医師は「これは手術が必要ですね」とサンプルを幾つか摘んで終了。診断は来週火曜日になっているが、素人目にも一目で癌だとわかるのだからいづれ病院からは他の検査もしたいと連絡が来るのではと思っていました。
でもなんとも言って来ません。長い不安な一週間でしたがその間に、大腸がんとその治療法について色々と調べたり、治療実績の多い病院を調べて過ごしました。 実績が断然多い癌研有明、虎ノ門などはちと遠く家族が大変なので、これも有名な内視鏡の名手工藤英進教授の率いる昭和大学横浜市北部病院消化器センターに行こうと決心しました。直腸結腸の手術例数が多いのと、これまでの経験から消化器センターという組織になっていれば内科外科のコラボレーションがうまく行くのではないかというのが最大の理由です。
 
IMG_20140320_092127ようやく18日の診察日になり、予想通り癌の告知をうけました。しかし具体的な検査計画や治療計画は示されずすべてこれからという状態でした。即座に昭和大学に紹介状を書いてもらい、タクシーを飛ばしてその日の初診受付に滑り込むという離れ業を演じました。
 
紹介状と内視鏡の写真を見た小太りの若々しい医師は、確かに癌で手術が必要ですが写真だけでは分からないのでもう一度調べさせてください、と次々に検査予定を入れて行く。これが怒涛の3日間の始まりでした。
18日の初診に引き続き造影CT、血液検査、心電図、そして2日目19日の大腸内視鏡検査、3D-CT撮影を終えたところで外科の医師が来て24日入院してワーファリンを抜き、31日手術でどうですかと聞かれました。勿論即座に「ぜひお願いします」と返事をしました。
人気病院だし下手をすると1,2ヶ月は待たされるかと覚悟していったのですが、初診の内科医が内視鏡検査を自分で行ったり、すぐに外科担当が決まったりと患者を治すんだという熱意が感じられました。そして翌20日には食道、胃、十二指腸の内視鏡検査、手術を前提とした心エコーまで済ませてようやく一息入れました。
幸いにも明らかな転移は見つかっていないようだし、肛門から20cm位上なので人工肛門にはならないで済みそうだ。手術は腹腔鏡下で行うので身体へのダメージは少ない。今後転移があるかどうか、リンパ節に癌細胞がいるかなどは神のみぞ知るでくよくよしてもしょうがないと腹をくくりました。
 
お陰で入院までの3日間は安らかな気分で普段通りのんびり過ごしました。時期の小松菜と春菊の種まきはしましたが、その他の庭仕事は今年は仕方ないので我慢してもらうことにしました。地元の竹やぶ仲間には経過を報告して炭焼きの引き継ぎをしましたが、友人達には手術が終わってから報告するこにさせてもらいました。
 
3月24日(月)息子夫婦に送られて入院、ワーファリンをやめてヘパリンに置き換える点滴が始まりました。肺活量と呼気の強さを測る呼吸器の検査がありましたが他にすることはなく退屈この上ない。持参のNexus7+ReudoのBluetooth Keyboardはなかなか調子が良い。
3月25日(火) 下の孫の卒業式に出られないのが残念ですが、自分の子供の入学式、卒業式に出た記憶はありません。当時は男親が一緒にということは 
朝麻酔科外来へ。特に診察はなく一般的な説明のあと同意書にサインさせるだけ。非日常ついでに11時からシャワーを浴びパジャマも替えて、後はプリントしてあった1月のヨーロッパ・スキーの写真を配れるように仕分けしたりして過ごしました。
3月26日(水)朝採血と血糖値を測るともう何もすることはありません。昨日に味をしめて11時シャワー。 
3月27日(木)各食前の血糖値測定のみ。竹やぶ仲間は朝降っていなかったので炭焼きを始めてしまったらしい。弟の店に於いてもらっている竹炭が売り切れたと連絡しておいたので包装をして届けたとメールを貰った。
3月28日(金)採血とX線撮影。型通り胸部正面と横向きを撮った後立ったまま腹部と仰向けで寝た時の腹部の撮影をした。技師に聞いたら腹部の空間の状態を知るためだという。
18:00に主治医島田先生から手術の説明を受ける。ほぼ予想していた通り詳しくは切除した部分とリンパ節を調べてみないとわからないが、ステージIIかIIIに相当する。他臓器への遠隔移転は見つかっていないが、血液に乗ってがん細胞がばらまかれている可能性はあるので補助的な化学療法をお勧めするかも知れないとのことであった。要は癌が腸膜のどこまで達しているか、リンパ節転移があるかないかで手術後の対応が決まる。これまで癌の化学療法にはやや否定的な考えだったが、それを言うと「それは外科的に癌が摘出できない場合に言えることで、再発転移の確率が5年で34%のものが17%になると言ったらどうでしょうか?」と言われた。あの大きさまで育ててしまったのだからリンパ節には既に言っていると覚悟はしているが、まあ結果を見てから考えよう。
NEC_02683月29日(土) 入院6日目
今日から「低残渣食全粥」。朝と昼は魚の切り身一切れが唯一の固形物だったが夜はそれもなくなって何も入ってない卵とじ。何もとじていないのだから和風たまごゼリーとでもいうのかな?
3月30日(日) 入院7日目 手術前日 
いよいよ絶食して腸洗浄剤で腸内を空にし、体毛を剃ってシャワーに入る。手術後はICUに1泊するので必要なものに名前を入れるなどして準備万端整った。
3月31日(月) 手術日
後は医者に任せるよりないので、特に気に病むこともなくテレビで山中伸弥教授の出ている番組をみていざ眠ろうとしたら珍しく寝付けない。そうこうしているうちに3日前に手術を済ませた王室の若い人が点滴のアラームが鳴っているのにいびきを書いて寝ている。
代わりにナースコールボタンを押して処置してもらったが、いびきのスイッチもあるといいのになどと考えている内にすっかり寝そびれてしまった。
病棟の窓は東を向いているので、日の出の写真を取ろうと狙っているのだがこれまで雲が多くて果たせなかった。明日は晴れそうなので良い写真がとれそうだ、いや最後の日の出なんてことになってはなどと考えているうちに、うとうとして目が覚めたら既に病室に朝日が差し込んでいた。