駅まで3km 鎌倉歴史散歩11月

不動堂では来年の干支がお出迎え。はて猿の下の物体はなに?
不動堂では来年の干支がお出迎え。はて猿の下の物体はなに?

11月30日(月) 本年最終回の鎌倉歴史散歩に参加した。今回は大船からバスで鎌倉カントリー方面に向かい、今泉の白山神社、称名寺を経て散在ヶ池(鎌倉湖)へ。

右目不調と肋骨々折騒ぎで運動不足が祟ったのだろう称名寺本堂から不動堂までの135段の石段では息切れが激しかった。たいした距離は歩いていないのに帰宅後の深

鎌倉湖、紅葉にはまだ早い
鎌倉湖、紅葉にはまだ早い

夜2に回も足がつる騒ぎで我ながら情けない。

利き目が右から左へ変わった違和感もどうやらなくなってきたので、雪の便りも聞かれる昨今、脚力の低下を少しでも防ごうと翌日の病院行きには駅までの3kmを歩いて行った。アップダウンのある経路を選び所要時間28分はまあまあと一安心。

これを機会にできるだけ毎日歩こうと思っているのだが昨日は先輩3夫婦と食事会、今日は雨、またまた一日坊主にならないよう頑張ろう!

広島、宮島、倉敷

DSC01007右目はまだ役に立たないが胸の痛みはほぼ取れたので、妻が常々一度訪れたいと言っていた広島に行くことにした。久しぶりの国内旅行、考えてみれば二人で関西方面に列車で行ったのはまだ新幹線が開業する前年のことだった。今回は新横浜から「のぞみ」で昼頃には広島に到着、早速原爆ドームへ。昔呉に出張というと仕事が終わってから寝台車で出かけたものでまさに隔世のDSC01018_R感がある。(今時こんな感慨を覚えると我ながらはなんたる時代遅れか)

あいにくの雨模様だが日曜日(11/8)とあってかなりの人出で外国人観光客の姿も多い。原爆ドームを一周して名物鉄板焼きで昼食と思ったがドームに近い雑誌に載っている店は店先に10名程の行列DSC01022_Rが出来ていた。食い物に行列するのは大嫌いなので少し離れた店で一人前を二人でシェア。

食後は平和記念公園を抜けて資料館へ。資料館は現在改修中で東館は閉鎖中、本館だけの見学となったが、出てきたときはぐったりとなって二人とも無言。なぜ広島に?なぜたった3日後に長崎に?
「原爆が戦争を早く終わらせた」という主張というか言い逃れは分らぬでもないが、非白人で是非人体実験をという事だったに違いない。

厳島神社

ドーム近くの桟橋から世界遺産航路のフェリーに乗り30分ほどの航海で宮島へ。今日は宮島泊まりなのでライトアップされた厳島神社を見たいのだが宿で夕食を済ませてから出かける気力が残るかどうか疑問なので夕暮れの厳島神社を参拝して時間をつぶした。
宿について夕食で一杯やったら昼間の疲れがどっと出てすぐに寝てしまった。

第2日(11/9) 弥山登山後倉敷へ

DSC01154_R朝海に面した窓を開けるとどこに行くのだろうかたくさんの鹿が歩いていた。ゆっくりと宿を出てまだ人の少ない厳島神社を横目でみながら紅葉谷公園へ。紅葉最盛期の混雑を外してきたのであまり期待していなかったが、ここはモミジ、カエデ、ナナカマドが多く周囲の照葉樹林に映えてたいへん素晴らしい。今日も相変わらず不安定な空模様だが幸い雨は止んでいたのでロープウェイで弥山に登ることにした。

下山後まだ干潮には時間があるが潮の引いた干潟に降りて正面から大鳥居と厳島神社を眺め、生牡蠣と焼き牡蠣でシャブリを一杯頂戴して倉敷へ。

第3日(11/10) 倉敷、帰宅

倉敷歴史地区
倉敷歴史地区

前夜は素泊まりの安いホテルだったので、夕食は一寸贅沢をして小料理屋でこれも珍しくおまかせ料理で地酒を堪能した。朝、大原美術館開館前に歴史地区を散歩と出かけたらにわかに雨が降り出し大慌てでホテルに傘を取りに戻る。

大原美術館をゆっくり回って歴史地区内で岡山ばらずしを食べて今回の旅行を締めくくった。

 

オランダ・ベルギー旅行(1)

IMG_20150702_0949457月2日「真珠の耳飾りの少女」に会いにアムステルダムへ出発です。

8時ころ成田空港に着き、出発ロビーに着いた時は既になでしこの準決勝は前半戦が終了。延長になると結果を見届けられないと覚悟したとたんになんと見事なオウンゴール!一瞬間をおいて盛り上がりました。テレビの前に陣取っていたイギリス人らしき女性はそっと席を立ちました。

P1000946フライトはほぼ定刻どおりスキポール空港に到着。久しぶりに747に乗りました。、KLMは初めてですが機内食の味は最近乗った航空会社の中ではトップクラスでした。アテンダントも感じのよい人が多かった。

前夜は錦織君の棄権があって寝不足をまぬかれたもののホテルでナダルの試合を見るにつけ、怪我が残念です。ナダルはゲリーウェバーで錦織が撃破したトレッドヘアのダスティン・ブラウンに1セットダウン、苦戦中です。

竹の不思議

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先日鎌倉の竹の寺で知られる報国寺を訪れたとき、講師の方から「竹の専門家」と紹介されたが碌な話も出来なくて申し訳ないことをしてしまった。特に竹の一番不思議な(と私が思っている)性質にまつわる話が出来なかったのは私としても残念だったので知っていることをメモしてみることにした。

竹(孟宗)はタケノコとして地表に現れたった2ヶ月で20メートルも伸びる。(タケノコは出てきたときすでに約60節の構造を持っている)
最も伸びの早い時期には一日に1メートルを越えa0960_003136_mて成長するが、以降は成長せず太さも太くならない。
一体全体この驚異的スピードの成長はどういうメカニズムで成し遂げられているんだろうか?
一般に植物は葉で光合成によって作られた糖類を栄養源として成長するものであるのにタケノコにはまだ葉がないのでこの栄養はどこから来るのだろうか?

答えは地下茎ある。夏から秋にかけて地下茎に蓄えられた栄養を貰って成長し、6月には栄養を使い果たして成長が止まり、その栄養a0960_003138_mを蓄えてきた周囲の親竹は葉を更新して夏からまた地下茎に栄養を送り始める。この地下茎のネットワークは竹林全体に広がっていると言われている。
60年とも120年とも言われる周期で竹が開花し種を付け竹林全体が枯れると言うのも竹林全体が一つの個体であると考えると理解できる。要するに竹の本体は巨大な地下茎のネットワークに在るといって過言ではなさそうだ。

竹はイネ目イネ科に分類されていて確かにイネに似ているところもあるが素人目には似て非P1000927なるものである。一本の竹の寿命は20年位という文献もあるが多分間違いで孟宗竹でせいぜい10年、7年目くらいでかなり茶色になって目に見えて弱って来る。5年生くらいで地下茎への栄養供給力も低下するので良いタケノコを取るには5年目の竹を切ると良いとされている。そのためには生えている竹の5分の1、すなわち20%を毎年伐採することになる。
我々が管理している竹林内には多分1000本位はあるから200本は切らねばならず平均年齢が70歳を越えた年寄りグループが果たしていつまで耐えられるだろうかこれも疑問の一つだ。 (久しぶりに朝から雨でテニスも庭仕事も出来ない、明日から出かける準備の合間にパソコンに向かった)

鎌倉歴史散歩 6月

P10009046月22日(月) 梅雨の合間で日差しはさほど強くないが蒸し暑い日になった。折からの紫陽花シーズンで長谷寺方面はすごく混雑しているようだが、我々の目指す鎌倉最古の寺「杉本寺」方面はさほど人出は多くない。

さてまたまた「文覚上人」の登場! 1953年公開のイーストマン・カラーによる大映第一回総天然色映画「地獄門」はまさに上人の前半生を描いたものだという説明があった。残念ながら映画は見ていないが(当時は高1で、洋画のミュージカルものに嵌っていた)、原作菊池寛、長谷川一夫、京マチ子主演、衣笠貞之助脚色監督と懐かしい名前が挙った。
屋敷跡というが現地はこの石碑だけである。
それにしてもたった18歳で人妻に懸想、結果として人を殺し出家。神護寺再建の金集めで時の法皇の錨を買い伊豆に島流しにされそこで頼朝に出会い、平家打倒をそそのかし、怒りをかって島流しにされた当の法皇から平家追討の院宣を得てくるなど常人には考えられない行動力の持ち主だったようだ。

P1000908

頼朝建立の勝長寿院跡(これも今は石碑のみ)を通って釈迦堂の切通しへ。

残念ながら崩落が激しく現在は通行止めになっていた。

 

 

P1000917アナゴ料理で有名な左可井の前を通って鎌倉最古の寺「杉本寺」へ。仁王門の先の苔むした階段は通れない。左側の階段を上がり本堂へ。ご本尊の三体の十一面観音は格子の奥に安置されているので殆ど見えないが、頼朝が寄進したといわれる前立ち観音、以前の住職が造ったという木彫の新十一面観音は間近に拝顔出きる。住職が彫ったとは、果たして本当なのか、本当ならどのような修行をしたのか知りたいなどと考えた。

 

P1000922竹の報国寺へ。
山門というには小ぶりな門をくぐって進むと立派な本堂と茅葺の鐘楼が現れる。

奥の竹林はなかなか見事なものでところどころに石灯籠があるのをみて、我々の竹林にも一つ欲しいなどと考えていたら、講師の先生から竹の専門家として紹介されてしまっP1000925た。年甲斐も無くどぎまぎしてお粗末な話しか出来ず我ながら情けなかった。
それにしても我々の基準(傘をさして間を通れるくらい隙間をあけて間伐)からするとかなり密生しているのだが、太さがそろっていて真っ直ぐに伸びているのは見事だ。多分かなり肥料なども入れているのではないだろうか。

旧華頂宮邸は月火は休館日。先月のお菓子屋と言いどうも月曜組みは不利だが仕方ない。それにしても昭和初期の公爵様はこのような洋風建築を立てられる財力を持っていたのだなあ、その後随分貧富の差はなくなったが、また昨今拡大しているなどと余分な思いにとらわれていた。

足利氏の寺稲荷山浄妙寺
鎌倉五山-建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺-の一つに数えられている名刹で本堂の屋根の柔らかな形が新鮮に見える。
このあたりの地名は浄明寺町、別に間違えたわけでなく同じ名前は恐れ多いとわざわざ違う字を充てたという。

本日はここで解散。蒸し暑さのせいか今日はいつもより疲れた感じでおとなしくバスで鎌倉駅に戻り帰宅。

 

入笠山と戸狩温泉いちご狩り

6月13日(土)-15日(月)スキー仲間と恒例の戸狩温泉メープルハイムへ

DSC06156初日は談合坂SAで落ち合い富士見パノラマのゴンドラに乗って120万本のスズラン群生地を通って入笠山へ。スズランは花が葉に隠れるように咲くのであまり迫力は無いが、運よく梅雨の中休みの青空の下で良い香りに包まれて歩くのは気持ちの良いものだ。
白い木の花コナシ(ズミ)やレンゲツツジほか色とりどりの花を愛でながら入笠山までのんびりと歩く。
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入笠山山頂はものすごい混雑でニュースで見る高尾山もかくやとおもう有様、仲間の一人が持参のドリップコーヒーを煎れて昼食をとろうとしても一緒に座る場所を確保するのが大変だった。

 

入笠山山頂はすごい人出
入笠山山頂はすごい人出

遠見は利かず富士山や北アルプスは見えないが、目の前に八ヶ岳連峰、南アルプス方面は甲斐駒岳、千丈岳、間の岳、そして中央アルプスの山々が眺められた。山の名前を確かめようと山頂にある地図を見ようとしても人が多くて近づけない。

 

 

下山後は茅野の玉宮温泉望岳の湯で八ヶ岳を見ながら疲れを癒し、スーパーで食材を調達して仲間の茅野別宅へ。

DSC062012日目。朝食後一路戸狩温泉メープルハイムへ。着後挨拶もそこそこに早速イチゴをぱくつき、宿自慢の手打ちそばを頂く。今年のイチゴはやや粒が小さいが甘くて美味しい。

食後、鍋倉山中腹の「巨木の谷」にある樹齢400年を越えるブナの巨木「森太郎、森姫」に会いに行こうということになり7年前に妻と二人で一度行ったことがあるので案内することになった。

DSC06209「巨木の谷」への入り口は戸狩温泉から関田峠へ向かう国道の途中にあるのだが、あまり多くの人が入るのを防ぐ意味もあってか、まったく道しるべがない。記憶を頼りに道端の藪をわけしばらく行くとようやく道標が見つかった。あまり人が入っていないごくかすかな踏み跡をたどっていくと小さな雪渓に出た。 わずかに残る足跡を辿って少し登ってみたが、どうもこの雪渓を詰めた先には道がなさそうに見える。 幸い丁度小さな雪渓立ち止まったところに、危うく見逃してしまいそうになった踏み跡があるのを後続の仲間が見つけてくれ再びコースに戻ることが出来た。

雪で曲がった幹をまたぎながら歩きにくい片斜面を登っていくと鍋倉山への登山道の分岐

を過ぎ先ずは「森太郎」へ。周囲にも大きなブナの木は多いが群を抜いて立派だがやはり樹勢はかなり落ちているようで枯れた枝が目立つ。「森姫」は数年前に完全に枯死してしまったとかで近くに寄らないようにという注意書きが出ていた。

来た道をずるずる滑りながら引き返して国道に戻る。周辺ではタニウツギが花盛りで白い大きな花をつけるタムシバが目を引いた。

宿に帰り温泉につかり一杯やりながらのんびりと過ごす。

DSC062253日目。朝から風呂に入り気が向いたらイチゴを食べコーヒーを飲み何もしないで過ごす。10時半頃出発して何時ものように小布施の竹風堂で栗おこわ定食を食して出発。途中茅野の別宅に寄るという仲間と別れて夕方帰宅。

 

鎌倉歴史散歩 2015年5月

P10008515月25日(月) 今月もバスで鎌倉駅東口から材木座方面に向かう。日差しは強くないが風がなく蒸し暑い。

まずは九品寺へ。
ここは新田義貞が自らが滅ぼした北条氏の霊を祀るために建立したといわれる寺で、山門と本堂の扁額は文字は新田義貞が書いた文字の写しとか。

補陀洛寺(ふだらくじ、別名竜巻寺)
P1000854九品寺を出て南西に行ったところに補陀洛時がある。角に頼朝公御祈願所の石柱が立っているだけで山門も無く寺には見えないたたずまいである。
こじんまりした本堂本陣にはご本尊の十一面観音を始め所狭しと数多くの文化財が並べられている。

なかでも文治3年(1185)の壇ノ浦の戦いで敗れた平家の総大将平宗盛が掲げていた赤旗が印象に残る。源氏方の総大将は源義経、幼い安徳天皇の入水で終わる源平の戦いはこP1000872れまでは一つの物語に過ぎなかったが、にわかに眼前にビビッドに展開するまさに歴史ロマンを感じさせてもらった。

 

 

 

 

実相寺

実相寺
実相寺

補陀洛寺を出て見事な柴垣に沿って北に進みと実相寺がある。仇討ち物語で有名な曽我兄弟に討たれた工藤祐経の屋敷跡という。日本三大仇討ちに数えられるように単純な仇討ち物という認識だったが、実際はかなり複雑な人間関係があったようで、そもそもの発端は曽我兄弟の祖父の悪行にあったらしい。

 

五所神社
P1000879明治初年に二つの村が合併したとき、村内の五つの神社を三島社に合祀したもの。
こじんまりした境内にはいろいろな時代を思い起こされる庚申塔や、先月光明寺にあったと同じ弘長二年(1262)と刻まれた板碑があった。この神社にいるときに茨城県で震度5を観測した地震があった。屋外にいてたいした揺れは感じられなかったが、参加者の多くの携帯電話に一斉に緊急地震警報が入り大いに驚かされた。石段の隙間に咲く花を見つけスミレだと思って写真をとったが、調べて見ると図鑑には該当するものが無い。スミレの仲間は種類が多いが一体なんというはなだろう。

来迎寺
IMG_20150525_143902五所神社から少し歩くと三浦一族ゆかりの来迎寺がある。こじんまりした本堂だが、残念ながら今回は拝めなかったがご本尊の阿弥陀三尊像なかなか良い姿のもののようだ。

右手には2mほどの大きな2基の五輪塔が、裏手には家来の物といわれる小さな五輪塔が沢山置かれていた。

ここで本日の予定コースは終了解散となるが、例によって鎌倉までの道すがら向福寺、啓運寺、元鶴岡八幡宮、芥川龍之介旧居跡などの説明をしていただいた。

「大くに」
最後にこの先駅に行く途中に「大くに」という和菓子屋があり、安くて美味しいという説明を受け妻と探しながら歩いたが見つからないまま若宮大路に出てしまった。
妻は見逃したに違いないと不機嫌に、私は鎌倉から有楽町に出てスキー仲間とのシーズン終了反省会に行くので充分時間はあるのでもう一度戻ろうということにした。途中地元の人に聞きながら戻ってみたら大町四つ角に確かに店は有った。しかし無常にも毎週月曜日休業の札が下がっていた。

鎌倉歴史散歩 2015年4月

前夜は錦織圭選手のバルセロナ・オープン決勝戦を観戦。 準決勝での快刀乱麻を断つようなプレー振りが嘘のように押されっぱなしの試合展開で寝るに寝られず床についたのは深夜2時半を回っていた。

眠い目を擦りながら家を出て鎌倉駅東口に12時少し過ぎに到着。 軽く昼食をと思っていたのだが、すでに1班目はスタートしていて集合場所にもかなりの人がたむろしていたので直ぐに参加登録をした。 先着順の出発で講師の順番が決まっていないので毎回同じ講師の方につくのはなかなか難しい。

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バス停光明寺下車

今日の主体は材木座地区の名刹「天照山光明寺」、1243年創建というが殆どの伽藍は江戸時代に再興されたもののようだ。「光明寺前」でバスを降りると目の前が「総門」である。
総門は伽藍の中では一番古く江戸初期1620年代に立て直されたもので「勅願寺」の扁額や、門に取り付かれた菊と桐の紋章が天皇や将軍との係わり合いの深さを示している。

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巨大な三門

総門をくぐると大きな空間が広がっていて正面に大きな三門が見える。鎌倉最大というだけ有って間口16m高さ20mの大きな山門だ。両脇に仁王像は無いが、2階に釈迦三尊と四天王更に十六羅漢が祀られている。2階には以前は特定の日にしか上がれなかったようだが、今では20名(分)集まれば一人500円すなわち1万円で見学が可能だそうだ。まるで天守閣に上がるときのような急な階段を上がり2階に上がる。
江戸時代末期1847年再建というのだからP1000772170年近く経っているのにあまり木部にあまり傷みが無い、約50年経過の同じ木造の我が家も手入れさえしていけばまだまだ大丈夫などと妙なことを考えた。
釈迦三尊はともかく四天王、十六羅漢は極彩色でどうも居心地が悪い。2階からの眺望はさすがに素晴らしい。総門越しに見える材木座海岸、稲村ヶ崎の向こうに江ノ島がかすんで見える。

P1000793三門の先はこれまた大変大きな大殿(本堂)が向かって右に鐘楼がある。とても大きくて姿の良い鐘楼だ。大殿(本堂)は自由に見学が出来る。日頃信仰心はまったく無いほうだが、こういうところに来ると何故かご本尊の前に座ってみたくなる。日本人だけかと見ていると外人さんも同じ様にしていた。本堂右手には「三尊五祖の石庭といわれる枯山水が、左手には小堀遠州作庭と言われている庭園があるが、正直なところどちらもしっくりこなかった。なにか全体の寸法のバランスが悪いと思うのは私だけだろうか?

 

P1000805弘長2年(1262年)銘の石碑を過ぎ本堂裏手の山に登ると「かながわの景勝50選」に選ばれた絶景ポイントがある。景勝50選の石碑のあるあたりは木が生い茂っていてその手前に展望台が設置されていた。暖かい日で残念ながら富士山はかすんで見えなかったが、良く見れば長谷寺も見えるそうだ。

P1000807さらに先に進むと開祖良忠上人の墓、開基北条経時の墓がある。五輪塔、宝篋印塔、無縫塔など色々な形の墓石が並んでいる。

 

 

 

鎌倉市立第一中学校の脇を通って山を降りてくると光明寺の大パトロン内藤家の墓所に出る。まったく予備知識を持たないので巨大な宝篋印塔と灯篭、地蔵などが所狭しと並んでいる様をみてまずびっくり、さらにこれが内藤家という一族のものと聞いてまたびっくりした。行ったことは無いがまるで兵馬俑のようだ。一体どうやってこんなものが出来上がったのか知りたいものだ。

和賀江島
和賀江島

海岸線に出て和賀江島を見て飯島バス停に出て解散となる。バスは15分待ちだというので天気も良いので歩いて鎌倉駅に。駅のデリフランスで喉を潤して横須賀線に乗ったら妻がスカーフを忘れて来たという。たいしたものではないので諦めかけたが大船駅に着いたときに一応店に電話を入れた。対応に出た男性従業員が、見つかったので丁度今から帰るところなので大船まで持ってきてくれると言っているとの事。待つことしばし、若い気の良さそうな男性が届けてくれた。幸い乗ってきた電車に再び乗る事が出来て去っていく彼に最敬礼。終わりよければで気分の良い一日になった。

 

 

鎌倉歴史散歩2015年 3月

昨年一年間朝日旅行主催の鎌倉歴史散歩に参加してみたが、そもそも歴史に弱いのが急に鎌倉時代が俯瞰的に理解できるようになる訳はない。今年はどうしたものかと考えていたが、少なくとも月一回は夫婦揃って出かける機会が得られるだけでも良いかと考えて今年も参加することにした。

法性寺山門
法性寺山門

3月23日(月) 今年3回目の講座は昨23日彼岸の時期にふさわしくきりっと晴れた日差しの中、逗子駅からバスで久木5丁目下車、日蓮ゆかりの猿畠山(えんばくさん)法性寺へ。今日はここから横須賀線の名越(なごえ)トンネルの真上の切通しを通って長勝寺までのコースだ。

 

 

P1000645山門を過ぎると無粋な高いコンクリートの則面の向こうに急な階段が見える。舗装された回り道があるのに100段を越える階段を直登、息を切らして祖師堂に到着。

 

 

 

日蓮岩屋
日蓮岩屋

「松葉ヶ谷草庵」で念仏信者に襲われたとき日蓮はすでに3匹の白猿に導かれて祖師堂脇にある岩屋に隠れていたという。 この手の話は聞き流してしまえばそれまでだが、焼き討ちが真実で日蓮が助かったのも真実のようだから、やはり逃げる手引きをしてどこかにかくまった人達がいたのだろう。 日蓮に近い信者がというよりも、念仏信者の中でひそかに日蓮を慕う人達が、さらにうがって考えれば日蓮が放ったスパイ達がいたというほうが当たっているのではなどと説明を聞きながら考えた。

 

 

大切岸
大切岸

ここからて山王権現が鎮座する山頂を経「大切岸(おおきりぎし)」へ。
鎌倉防衛の防壁説が近年の発掘調査で石切り場の跡と判ったのは、歴史のロマンをやや損なう感じもするが、どのみちここで戦闘があったという記録も無いのであまり気にならなかった。この辺りではまだ果たして白猿はだれ?というのが心に残っていた。

少し戻って「まんだら堂やぐら群」に入る。ここは土日祝日月に限って公開されていyaguraるとのことである。我々月曜組は月曜休館のところが多く損をしたような気がしていたのでなにか嬉しい。150を越えるやぐら(横穴)が穿たれた崖の様はぺトラ遺跡の王族の墓所の小型版のような感じを受けた。

第1切通し
第1切通し

まんだら堂を出て左手に向かい「名越切通」へ。三浦半島への重要な陸路にしては随分狭いなと思っていたら、往時の路面は現在より60cmも低く道幅ももっと広くしっかりしたつくりだったようだ。 第1切通しを見て引き返し、横須賀線の名越トンネルの鎌倉側の入り口に向かって急な下り坂を降り、踏み切りを渡って長勝寺へ。

法華堂は室町時代末期の造営で県の重要文化財に指定されている。日蓮と四天王の銅像を見て解散となる。折角だから松葉ヶ谷の草庵と言われている妙法寺のほうを覗いてみたかったが、足も疲れたので鎌倉駅に向かう。

 

五間堂
五間堂

途中時間外にもかかわらず、上行寺の「左甚五郎作と伝えられる竜の彫刻」と別願寺の足利持氏を祭るという大きな石塔を案内していただいた。上行寺は癌封じの寺とかでなにやら怪しげな神仏混淆のような寺で「左甚五郎って本当?」という感じ。別願寺は一見寺とは思えない建物だった。石塔は確かに大きなものだ。彫ってある三本脚の鳥居のようなものは鳥居ではなく入り口を表しているようだ。